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タイでは仕事中に寝ても問題ありません
2012/07/01(Sun)
タイでは仕事中に寝ても問題ありません
P6020047

タイでよく見かける光景です。

彼は休憩中ではありません。仕事中です。世界広しと言えど、寝て給料がもらえるのはタイくらいなもんでしょう。ああ、タイ人に生まれたかった。

「今からでも遅くはないぞ」「堅苦しい日本人なんか辞めてこっち来いよ」
と言っているようにも聞こえます。

彼を見習えば、日本人の仕事に対するストレスも減るでしょう。
こんなんでいいんです。もっと肩の力を抜いてゆる~く働きましょう。

では皆さんお休みなさいzzzzz


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カシット外相
2009/03/29(Sun)
カシット・ピロム外務大臣
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久しぶりに政治ネタをひとつ。アピシット内閣のカシット・ピロム外務大臣の問題発言が波紋を呼び、一向にタイの政局が収束する気配は無い。

何とこのオジサン、PAD(民主主義市民連合)によるスワンナプーム国際空港の占拠と閉鎖という未曾有の大混乱を「サヌックディー(メチャおもろかった)」、PADが反政府集会で提供した食事やコンサートは「イアム(最高~)」などと発言した。

これはもう麻生太郎もビックリの失言だ。こんな男を外務大臣に任命していいのか。実はこのオッサン、タイと関わる仕事をしていた日本人で、この男を知らなければモグリだ。

タイメディアも大きく報道
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何を隠そう、前駐日タイ王国特命全権大使であられたお方だ。私も何度か会って話をしたことがある。日本語は話せないが、米国ジョージタウン大学を出たとかで私とは英語で話した記憶がある。

私が会った感じでは、それほどフザけたオヤジという印象は全くない。むしろ非常に真面目で熱心な人という印象を持った。大使館に案内を送ると、都合のつく限りガシット大使が出て来られる。

都合がつかなければ、公使や参事官を出席させるという感じだ。日タイビジネスフォーラムの設立にも参画するなど精力的に活動した。任期を終えた後は駐米大使に栄転されたと聞き、私はすっかりその存在を忘れていた。

カシット大使の名刺
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それがいつの間にかタイに帰国するや、PADの反政府運動に積極的に関わっていた。PADでは主導的リーダーの一人となり、連日デモの先頭に立って派手にタクシンやソムチャイ政権を非難するアジ演説を繰り広げていた。

上記の問題発言は、この時に発した発言の一部だ。この功績が民主党から「殊勲甲」と認められ、アピシット内閣では外務大臣に就任。でもちょっと待て。この人ってタクシン政権時代に駐日大使に任命されたんじゃなかったのか。

駐日大使という重要なポストに就くにあたり、時のタクシン首相や与党(タイ愛国党)の後ろ盾があったろうことは想像に難くない。それがいつの間にか、激しく非難し合う関係になっていた。

プッ、大使のくせにHotmailなんか使ってる(笑)
P101039

いつものことながら、タイ人の変わり身の早さには驚愕する。タイ人は目先の利益のために昨日の友を今日の敵にし、今日の敵を明日の友にすると言ったら言い過ぎか。

PAD創設者のソンティ氏とタクシンも、元々は盟友でビジネスパートナーだったと伝えられている。それが利害の対立から、互いに国民を巻き込んで憎しみ合う関係にまで発展した。

タイ人の辞書に義理や謝恩といった言葉は無いようだ。「トープテーンブンクン(報恩)」というタイ語があるが、これは主に仏陀や両親に対して使うのが通例だ。

弁明するカシット外相
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友人同士の貸し借りなどは、翌朝ニワトリがコケコッコーと鳴いたら全てチャラになると私は思っている。私がタイ人にオゴられることも多々あるが、後日「先日は大変ご馳走になりました」などと礼を言う必要はない。

言わなくとも「アイツは御礼の挨拶もねぇ」などとケチなことを言うタイ人はいない。この辺はタイ人が太っ腹であるところだが、不安定な人間関係の一因にもなり得る。

外国人が不動産を所有できないタイで、不動産の名義をタイ人妻に書き換えるや否や、それまでのタイ人妻とその一族によるモミ手ゴマスリ態度が急変。ケンモホロロに家から追い出されて捨てられた可哀想な日本人お父ちゃんの例は枚挙にいとまがない。

タイラット紙
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人間関係を長期的視野や深謀遠慮で考えるタイ人は至って少ない。逆に言えば、タイ人と良好な関係を保つためには、常にタイ人の鼻先にニンジンをぶら下げておく必要があると言ったら冷め過ぎた見方か。

話が飛んだ。毎年5月に代々木公園で行われるタイフェスティバルがある。受付でタイ大使館から送られた招待状を出すと、3,000円分の商品券に換えてもらえる。3,000円もあれば、出店のタイ料理やシンハービールを腹一杯堪能できる。

タイという国は人をもてなすのが本当に上手いと思ったものだ。あくまで両者の利害が一致している場合に限るという条件付ではあるが…。

マスコミに取り囲まれるカシット外相
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さて、外務大臣の資質を厳しく問われているカシット外相は、連日タクシン派の野党プアタイ党や赤シャツ軍団のUDD(反独裁民主戦線)の集中砲火を浴びて今や人間サンドバック状態だ。

今月に入ってからも国会で不信任決議案にかけられ、かろうじて否決されて何とか首はつながった。それでも依然として辞任の圧力は重くのしかかっている。

いずれにせよ、カシット外相は親日家とは言わないまでも、駐日大使を長く務めた知日家であることは間違いない。このような人物が外務大臣であることは、タイと我が国との友好関係において非常に好ましい事だと私は思う。

Naewna紙
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ここはひとつ踏ん張りどころだ。頑張れ!カシット外相!


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バンコクのチャイナタウン
2006/10/28(Sat)


自分が学生になった時すでにジュライホテルは廃業していた。この貧乏バックパッカーに愛された暗黒系監獄旅社の伝説は、クローン黒沢や小林紀晴の本を通してしか知らない。一度は泊まってみたかったが、今は写真の通り廃墟になっている。廃業の原因は、このホテルの経営上の問題かもしれないが、タイという国の経済成長と共に消え去る運命だったのかもしれない。

発展途上国から中進国へと脱皮を図るタイにとって、この種の後進性を象徴する「名所」は、消えて無くなってほしいのかもしれない。そしてタクシン政権によって、あれもダメこれもダメの健全社会、カネが全てで何でも金ピカ最新設備の社会が誕生してきた。この路線を突っ走るのかと思いきや、彼がクーデターで「国外追放」になったのは面白い。クーデターによってタイの人々は伝統的タイ社会への懐古傾向にあり、成長は一時ストップすると言われている。

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一人孤軍奮闘を続けてきた楽宮旅社もついに廃業に追い込まれてしまった。数々の伝説を生み出してきたこの宿も、ご覧の通りシャッターが閉まり、今は見る影も無い。タイの紀伊国屋書店で、復刻版の谷恒生「バンコク楽宮ホテル」を買って読んだ。この小説で1980年代の魔都と呼ぶに相応しい中華街や、当時の日本人貧乏旅行者の様子までよくわかって面白い。現在のタイと比べると隔世の感がある。

ジュライホテルの全盛期は、日本のバブル期であろう。円高で日本人は、楽宮旅社からホテルのランクを格上げしてここへ移ってきたと聞く。ジュライの廃業と共に、堕落退廃系の日本人バックパッカーは、カオサンや遠くプノンペンへ移動して行った。さすがに今は麻薬で自暴自棄となる者は少ない。しかし「自分探し」という迷宮に陥り、日本で居場所が無いニートやフリーターのための避難場所を、カオサン等のアジアの安宿街が提供していると言われている。日本での引きこもりに対して、海外での引きこもりは「外こもり」と言うのだそうだ。
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そしてヤワラーの暗黒系旅社の“最後の砦”と言えば台北旅社であろう。別に金が無い訳ではないが、お化け屋敷に入る感覚で泊まってしまった。クーラー無しで250B。例えるならば、東京のホテルニューオータニに泊まれる外国人が、古き日本情緒を味わいたくて、浅草界隈の木賃宿に泊まるようなものか。本当にここだけタイの経済成長から取り残されている感じだ。宿のオヤジも暗黒街の怪しい臭いをプンプンさせている。付近にも化け物のような女性がウロウロしている。日本のドキュメンタリー番組でよく刑務所の中をリポートしている。台北旅社は、日本の刑務所以下の汚さだ。こんな所に金を払ってまで興味本位で泊まるのはお勧めできない。

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スワンナプーム空港開港
2006/09/28(Thu)
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スワンナプーム新国際空港が開港。その開港初日に利用することとなった。ドームアン空港の方がアジアっぽくって好きだったんだけどな。香港も啓徳飛行場の方が面白かった。着陸する時など、香港のネオンサインや民家の物干し竿ギリギリにランディングするものだから、墜落するようなスリルがあった。金ピカの新空港は面白さもへったくれもない。ここは一体どこの国?とさえ感じる。バンコクも然り。

ボケUAは朝の6時なんぞに離陸するものだから、4時には着いてないといけない。この間の悪さ。フアランポーン駅出て左手のレストラン街でビールを飲みながら時間をつぶす。警戒にあたる軍人や駅で寝る人等、深夜のフアランポーンも趣きがある。店員はラオスの兄ちゃんだった。シャトルバスが出るらしいが、当然この時間はない。タクシーで行く。英語でSuvarnabhumiと表記するが、「スバーナブミ」と言っても通じない。スワンナプームの方がタイ語に近い。駅から新空港まで280Bで行った。

ついに完成したか!と思いきや、よく見ると所々でまだ作業員が作業している。とりあえず客に見える所だけ先に突貫工事で済ませただけ。さすがはタイ。チェックインカウンターには日本人やマスコミも来ていた。お決まりのタイ人オネエちゃんを連れた学生風の男が前に並んでいた。

自分の番になると係員が「スミマセン」と言ってきた。おお~日本語でチェックインできるようになったのかと思いきや、ただ原稿を棒読みしているだけ。「シャンプーナド、エキタイハナニカモッテマスカ」。「No」と答えるとしまいには、スミマセンだけ日本語で後はずっとタイ式英語になってしまった。空港のハードは変わっても、タイ人の仕事の仕方は変わっていなかった。

乗ったUAは、新空港からの離陸一番機だとかで証明書をくれた(写真)。こんなものよこさずに、マイルをくれよと思うが、潰れかかった航空会社だから仕方ない。マイルが貯まったからといって、無料航空券の空席はなかなか予約が入らない。今回はわずかな滞在だったが、色々とタイの歴史に残る場面に立ち会うことができて有意義な訪タイだった。
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タイでクーデター発生
2006/09/20(Wed)
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朝8時すぎにホテルの部屋の電話が鳴った。こんな時間に誰だろう。出るとタイ人の知人から。「ニュース聞いたか?」何かと聞くと「クーデターだ。」どひゃー。えらいことになった。「今日事務所は閉鎖する。とにかくウボンに行ってくれ。切符は運転手に届けさせるから。」と言って切れた。朝飯がてらにバンコクポスト紙を買うと、一面トップで報じている。

午後王宮前広場に見に行く。兵士の数は多いものの、とてもクーデターが起きて戒厳令下の都市と言う雰囲気ではない。226事件のような状況を想像していたので拍子抜けした。その後ラチャダームヌンの官庁街へ。ここは人が多く出ていた。驚いたのは、その人手を当て込んだ屋台の数(大笑い)。そうだよなー、クーデターなんかより、日銭を稼ぐ方が大事だよなと妙に納得。人々は兵士と一緒に記念撮影などをしている。兵士の方も照れ臭そうに「オーケーオーケー」などと言って応じている。ふざけたガキはM16の銃まで持たせてもらっている。う~んさすがはタイのクーデターは、他とは違う。

夜行列車に乗ってウボンへ。切符をタイ人に頼んでおいたら、1等寝台など買ってきやがった(1000B強)。2等エアコン無しでいいのに。いつか列車のエアコンで風邪を引いて大変な思いをしたことがある。自分が日本人だから気を使ったのか、彼らはいつも1等寝台に乗っているからそうしたのか。タイの鉄道の食堂車で、車窓の風景を眺めながらビールを飲むのは至福の一時だ。

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