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イサンレストラン
2006/10/31(Tue)


イサン料理のレストラン「ケンピムパーミニリゾート」に行く。リアンムアン通りを南に下り、メナームムーン川を過ぎたあたり。何がリゾートだ、というただのレストランだが味は良い。イサーンを代表するガイヤーンやソムタムは無論、ゲテモノもある。今日のゲテモノ料理は、川海老の踊り食い。何と生きたままの川海老を食べる。

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みな「食え!食え!」とプレッシャーをかけてくる。日本でも外国人が絶対食べないと予想される、梅干、納豆、塩辛の類を外人が食べてくれたら日本人としては嬉しいものである。ここウボンでも同じこと。こういう彼らの期待には応えてあげたい。意を決してピクピク動く川海老を口の中に放り込む。案の定みな凄い凄いと喜んでくれる。

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この生きた川海老を食べようとしない女がいるので、「何で食べないの?」と聞くと「怖いから」と答えやがった。何だ!別に無理して食わなくてもよかったんなら早くそう言えよ!これで腹壊したらどうするんだ。でも腹は壊しませんでした。
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イサン風宴会
2006/10/30(Mon)


ウボンに戻った日からすぐに知人から飲み会に誘われる。今日は知人の自宅である、林の中のタイ式木造家屋の一階が会場。着くとバラバラ死体のような豚をさばいて七輪で焼いている。グロテスクであるが、いい香りと絶品のチャーシューを堪能した。しかしこれだけでは済まなかった。続いてのつまみは何と“カエル”。まだ生きたカエルをまな板の上で斧でさばく。グエッというカエルのうめき声が耳について気分が悪くなる。
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上が潰したばかりのカエル。これをバジル等と炒めると下のような料理になる。我慢して食べるとそう不味くはない。魚とトリ肉の中間という味だ。こうしたのをつまみにして、ラオカオと呼ばれる自家製焼酎を回し飲みする。気色の悪いこげ茶色で、アルコール度数が高い(一番上の写真の矢印)。このラオカオとゲテモノのつまみがイサン風ウボンの宴会なのだろう。

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しこたま飲んで酔っ払った後は、お決まりのトランプ博打だ。タイの男はどうしてこう酒・オンナ・ギャンブルが好きなのだろう。日本の男も決して嫌いではないが、タイの男は社会階層を問わず大好きだ。日本の場合、若気の至りという例が多いが、タイの男は老いて尚ますます盛んという感じだ。自分は脇で見ていたらいつの間にか眠ってしまい、蚊に刺されて足がボコボコになってしまった。
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ウボンに戻る
2006/10/29(Sun)


ウボン行きの列車は毎日何本もある。余裕で切符は買えると思って、昼過ぎにフアランポーン駅に行くと全て満席。アチャー!大失態を演じた。インフォメーションで聞くと、モーチットのバスターミナルから長距離バスが出ていると聞いて地下鉄で行く。チャットゥチャックの先だ。

着いてビックリ。こんな巨大なバスターミナルを見たのは初めてだ。エカマイのバスターミナルよりずっと大きく、野球場ほどはある。建物も近代設備になっている。タイも発展したものだ。しかしものすごい数のタイ人旅行者は、東北系の人が多く、ほのぼのとした空気がターミナルに漂っていて心地よい。
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バスはノンストップのVIPバスというものだった。ラオスの地方都市パクセーで、詐欺まがいのVIPバスに乗せららたことがある。この自称VIPバスは、窓ガラスや椅子のシートは破れ、お百姓さんのようなラオス人が補助席まで使ってギュウギュウ詰めの酷いバスだった。幸いウボン行きのVIPバスはまあまともの部類に入る。しかしこれで735Bは高すぎるかもしれない。ゆっくり足を伸ばして寝れる寝台列車の方が、同じ値段でずっと快適だ。夜9時過ぎにターミナルを出たバスは、翌早朝にウボンラチャタニに着いた。
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バンコクのチャイナタウン
2006/10/28(Sat)


自分が学生になった時すでにジュライホテルは廃業していた。この貧乏バックパッカーに愛された暗黒系監獄旅社の伝説は、クローン黒沢や小林紀晴の本を通してしか知らない。一度は泊まってみたかったが、今は写真の通り廃墟になっている。廃業の原因は、このホテルの経営上の問題かもしれないが、タイという国の経済成長と共に消え去る運命だったのかもしれない。

発展途上国から中進国へと脱皮を図るタイにとって、この種の後進性を象徴する「名所」は、消えて無くなってほしいのかもしれない。そしてタクシン政権によって、あれもダメこれもダメの健全社会、カネが全てで何でも金ピカ最新設備の社会が誕生してきた。この路線を突っ走るのかと思いきや、彼がクーデターで「国外追放」になったのは面白い。クーデターによってタイの人々は伝統的タイ社会への懐古傾向にあり、成長は一時ストップすると言われている。

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一人孤軍奮闘を続けてきた楽宮旅社もついに廃業に追い込まれてしまった。数々の伝説を生み出してきたこの宿も、ご覧の通りシャッターが閉まり、今は見る影も無い。タイの紀伊国屋書店で、復刻版の谷恒生「バンコク楽宮ホテル」を買って読んだ。この小説で1980年代の魔都と呼ぶに相応しい中華街や、当時の日本人貧乏旅行者の様子までよくわかって面白い。現在のタイと比べると隔世の感がある。

ジュライホテルの全盛期は、日本のバブル期であろう。円高で日本人は、楽宮旅社からホテルのランクを格上げしてここへ移ってきたと聞く。ジュライの廃業と共に、堕落退廃系の日本人バックパッカーは、カオサンや遠くプノンペンへ移動して行った。さすがに今は麻薬で自暴自棄となる者は少ない。しかし「自分探し」という迷宮に陥り、日本で居場所が無いニートやフリーターのための避難場所を、カオサン等のアジアの安宿街が提供していると言われている。日本での引きこもりに対して、海外での引きこもりは「外こもり」と言うのだそうだ。
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そしてヤワラーの暗黒系旅社の“最後の砦”と言えば台北旅社であろう。別に金が無い訳ではないが、お化け屋敷に入る感覚で泊まってしまった。クーラー無しで250B。例えるならば、東京のホテルニューオータニに泊まれる外国人が、古き日本情緒を味わいたくて、浅草界隈の木賃宿に泊まるようなものか。本当にここだけタイの経済成長から取り残されている感じだ。宿のオヤジも暗黒街の怪しい臭いをプンプンさせている。付近にも化け物のような女性がウロウロしている。日本のドキュメンタリー番組でよく刑務所の中をリポートしている。台北旅社は、日本の刑務所以下の汚さだ。こんな所に金を払ってまで興味本位で泊まるのはお勧めできない。

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ビーマンバングラデシュ航空2
2006/10/27(Fri)


訂正します。ビーマンバングラデシュ航空は無くなりません。現在の運行スケジュールが変更になります。新たなスケジュールで運行するまでの間、就航がストップするだけでした。これで安心。燃料サーチャージをこれまで通り、たったの600円程度で維持してくれることを祈るのみです。他のエアラインだと航空券代+2万は上乗せされるので、ビーマンの安さは段違いです。

今日のフライトは片道のバンコク経由ダッカ行きです。日本人搭乗者はみな普通の観光客とは一風違った流れ者風の人ばかりであった。お前もそう?今更驚かないが、機内はボロボロ。イヤホンや音楽のチャンネルを換える部分が丸ごと無くなって、テープが貼ってある。これは大爆笑。
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ビーマンバングラデシュ航空のスチュワーデスに逆ナンされた!?
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面白いので写真を取っていると、スッチーが「私も取る?」などと言ってきた。「Eメールで送ってくれない?」と言ってメールアドレスを手渡してきた。これは一体??逆ナン?仕事中にそんなことしていいのかよ。ビーマンは機体だけでなく、スッチーまでやってくれる。ビーマンのスッチーからメールを教えてもらったところで嬉しくもないが、こんなの私くらいなものか。彼女はバングラの基準では美人の部類に入るのかもしれないが、自分にとっては「濃すぎる」。まあバングラの女と付き合ってみるのも悪くはないかな。

機内食はメチャうまだった。牛肉のカレーは絶品の味(写真)。それにイスラム教徒の国なのに、機内ではビールも出る。味良し、酒良し、女良し。これで34,000円は安すぎる。ビーマンよ、これからもコストパフォーマンスの高いフライトを提供していってくれ!ありがとうビーマン!
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タイのクーデターとタクシン前首相
2006/10/13(Fri)
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昨日のNHKクローズアップ現代で、タイのクーデターを特集していた。一橋大学の浅見靖仁教授と国谷裕子キャスターが終始一貫して主張していたクーデターの構図は、「都市中間層」VS「地方農民」の対立というものだった。しかしこれは違うと思う。真の構図は「タクシン首相」VS「反タクシン合従連衡」というものである。その反タクシン勢力が国王擁立に成功したことがクーデターの要因であると分析する。

確かにタクシンが都市中間層を中心に国民から支持を失った理由は沢山ある。①首相という地位を悪用しての不正蓄財と税金逃れ、②国王を意に介さない発言や姿勢、③酒、煙草、飲食店、メディア等の常軌を逸した規制の強化、④麻薬撲滅、テロ掃討を口実にした大量虐殺、⑤彼の華僑色の強さに対する反発などが挙げられる。

こうしたタクシンに対して、都市部だけでなく地方の農民の支持も彼は失っている。番組での説明とは裏腹に、地方は親タクシンの一枚岩ではないのである。ウボンラチャタニで聞いた話にこんなものがある。タクシンの功績として、一村一品運動(OTOP)がある。これは大分県が発祥の地で、タクシンが積極的にタイの地方に導入して推進し、地方農村の産業振興に役立てたというのが内外での“定説”になっている。

しかし現地で聞くところによると、OTOP(オトップと発音)で利益を上げているのは中規模以上の農家や商工業者であり、零細農工業者は恩恵に服していないというのである。またOTOPは生産には熱心に力を入れて推進するものの、マーケティングや流通、販売にはそれほど成功を収めていないそうである。従って在庫が増えて、思ったほどに収益を上げていないそうである。またタイ農協銀行(BAAC)の規制緩和などで零細農家が融資を受けやすくなったのは事実だが、同時に借金苦も深刻な問題になっているようである。

日本が支援していることもあり、タイの一村一品運動は「いい話」しか聞いたことがなかったので、現地でこうした話を聞いて驚いたものである。従って地方農村は決して親タクシンで固まっておらず、都市中間層VS地方農村という構図は誤りなのである。デモに参加している人々を見ると、都市部のホワイトカラーとは到底思えない人々が多く混ざっている。

こうした動きに対し、タクシンと対立し期を見るに敏な軍部が行動を起こしたのではないか。反タクシンの数万のデモ隊は、シンボルカラーの黄色一色。黄色は国王を表わす。そのTシャツには「ラオラックナイルワン(我等は国王を愛す)」というスローガンが掲げられている。クーデターを起こした軍の兵士も、軍服やM16自動小銃に黄色のリボンを結びつけて、国王を擁していることを暗示している。つまり反タクシンの合従連衡勢力に軍部が便乗し、国王を擁したことが無血クーデター成功の理由ではないだろうか。

NHKのクローズアップ現代は、ソンティ司令官のインタビューに成功するなど評価できるが、その分析には疑問を感じる。浅見教授もメディアを通じてしかタイの情報を得ていないのではないか。今回はにわかタイ評論家のようになってしまったが、このネタは面白いので今後も見守っていきたい。

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タイのビザ取得
2006/10/06(Fri)
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ようやくタイのビザを取得できた。これで合法的にタイに長くいられる。タイで何をするともなくブラブラしている沈没型日本人が増えているため、ビザの発給は年々難しくなっていると聞く。今回はノンイミグラントビザなので90日間(延長可)滞在できる。ビザの取得は面倒なので、二度手間を省くために大使館のホームページで念入りにチェックし、疑問点は電話をかけて聞くのがよいだろう。

職員は午前中は申請者の対応、午後は書類チェックや電話対応に追われる。つまり大使館行くのは午前のみ、電話をかけるのは午後のみとなる。電話はつながりにくいが、丁寧に聞けば親切に教えてくれる。例えばビザの申請には訪タイのフライトを確定しておかなければならない。しかしお馬鹿申請者は「えっそうなんスか?」などと窓口でモメている。

カシット・ピロム前大使に何度か会ったことがある。ジョージタウン大学卒のインテリ。とても精力的で、スケジュールの都合さえつけば日タイ関係のあらゆる行事・会合に出席していた。日タイビジネスフォーラムを立ち上げたりしたが、駐米大使に赴任された。

最近タイに長期で行く日本人はロングステイのリタイヤした老人が多いようだ。サラリーマン時代にタイ駐在の経験のある人ならば、快適に第二の人生をタイで送れるだろう。バカ丁寧で杓子定規な日本の常識をタイに持ち込ます、風の流れるままに暮らせば日本にいるより幸せかもしれない。自分が老人になった時、タイは果たしていかなる国になっているのか。今の韓国・台湾ほどになっているのか。発展してほしいと思う反面、このままのんびりとしたところが変わってほしくないとも思う。
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ビーマンバングラデシュ航空
2006/10/03(Tue)
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マイレージは貯めやすいが使いにくい。UAの無料航空券がゲットできるまで貯まったが、まったく予約が入らない。試しにビジネスやファーストでも調べたが、全く空きがない。こうなるともう詐欺ですな。何がマイルを貯めて海外に行こうだ。以前チャイナエアラインでは簡単に取れたのだが。こうなるとアホらしいが買うしかない。ビーマンバングラデシュ航空の10/27バンコク行きを購入。

また一つ古き良きタイ旅行の風物詩が姿を消す。ビーマンバングラデシュ航空(BG)が日本路線から全面撤退!2006年11月以降完全撤退するという。ネットで倒産説が流れているが、クーデターでも起きない限り、潰れはしないだろう。BGはある意味で安かろう悪かろうの代名詞的存在。失礼ながら最低・最悪の航空会社だった。それだけにタイ貧乏旅行者の強い見方だったのだ。

世界の航空業界からも孤高を保ってきた。最近の燃料サーチャージ便乗値上げのオンパレードの風潮の中で、たった¥630しか追加徴収しない太っ腹さ。BGが無くなれば、今後どの航空会社を使っても、航空券代に20,000円近く上乗せさせられてしまう。これも負け組エアラインの宿命なのか。寂しい限りである。

搭乗する27日は、BGの日本路線最後のフライト。案外特別なイベントやプレゼントがあったりして。ある訳ないか。写真は1997年と2004年のビーマンの墜落事故のもの。こりゃマジで危険極まりない。乗るのも命がけのエアラインですな。
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タイ大使館
2006/10/02(Mon)
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目黒のタイ大使館にビザの申請に行く。前回は申請に必要な書類の送付をタイ人スタッフがスッポカしたので取得できなかった。

タイ王国大使館は、一人の警官も警備についておらず、警備会社の人間が一人座っているだけ。以前、虎ノ門のアメリカ大使館にビザ申請に行った時はすごかった。大使館に着く数十メートル先からポリがうようよいる。「何?ビザ申請?申請書類せて」などと聞かれる。中に入る時など飛行場のセキュリティーチェック同様の手続きがいる。

概して東京の各国大使館に勤める日本人スタッフは、虎の衣を借る狐そのままの横柄な奴が多い。単なる現地雇いの分際でひんしゅくを買っている。サウジアラビア大使館の奴に辟易させられたことがある。その点、タイ大使館はまともな方だ。ビザの申請についてF氏から丁寧な説明を受けた。

タイ大使館は一歩踏み込むと、独特の世界を醸し出している。領事部は何とプレハブ小屋(写真)。ここに来ている奴が凄い。おなじみの水商売系タイ人オネエチャンにチーママ。その手の女と結婚した日本人男性。やはり草の根レベルの日タイ交流はまだこの程度なのか。私もその一員?

ビザを取得してタイに90日以上滞在する場合には、現地の入管で滞在証明をする必要がある。領事部のタイ人スタッフに「滞在証明はタイ語で何と言いますか」と尋ねると彼女の顔がにわかに曇って苦笑するように言う。「ワカラナイネ」。さすがタイ大使館。滞在証明という日本語も通じなかった。タイ人は東京でもやってくれる。
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