Swing Party House
バンコクで発行される日本語情報誌やフリーペーパーの数は、10誌ほどもあるそうである。英語情報誌となるともっとあるだろう。チェンマイやプーケットなどの観光地も大体似たような状況らしい。
ところがここウボンではそんな日本語や英語の現地情報誌などひとつも無い。きっとこれからも発行されないだろう。日本人や欧米人の観光客などほとんど来ないのだから当然だ。
ところがウボンにやって来るタイ人観光客や地元民向けに出版されている「ウボンラチャタニガイド」というタイ語の現地情報誌はある。言ってみればウボンウォーカーといった感じの雑誌だ。
ウボンラチャタニガイド
当ブログのタネ明かしをすれば、この情報誌に掲載された店に管理人が出かけて行って店の印象や感じたことを書く、というパターンが結構多い。
どれもローカル色の強い店やスポットばかりが紹介されていて、タイ人の趣向がよくわかるので面白い。ウボンにあるオシャレ系の店はほぼ網羅されているが、先頃閉店した池袋のラーメン屋「大勝軒」のような穴場的店はあまり無い。
これは多分そうした店からは広告代が取れないからであろう。先日紹介したナムサイジャイジンも1ページを使って「パナガーントーンラップサオスワイ(カワイイ女の子の従業員がお迎えします)」などと盛んに宣伝している。
因みに私は大勝軒に容器を持って行って家で食べるという裏ワザを使っていたが、もうこれも使えないのが残念である。
このSwing Party Houseもウボンガイドで紹介されていたそうした店の一つ。Chayangkul通りの目立つ所にあります。入るとかなり高級感が溢れる店内です。
Swing Party Houseのカウンター
右手に生バンドの舞台があり、奥にカウンターが続きます。さながらバンコクにある高級ホテルのカクテルラウンジといった感じです。
でもここウボンには似つかわしくないようにも思う。この店のコンセプトを一言で言えば「西洋かぶれバー」といった感じだ。生バンドは80~90年代のアメリカンポップスを歌い続け、壁掛けプラズマテレビからはハリウッド映画を流し続ける。
ありていに言えばバンコクのカオサン通りにあるファランバーと何ら変わりない。客層はこうした洋風志向で酒を飲みたい懐に余裕のあるウボンの若年層が多い。50~60歳代のファランジジイも年老いたタイ人妻と一緒に来ている。
おそらく彼らはアメリカ人ではないだろうか。ベトナム戦争中、ウボンには米軍基地があった。そこに勤務していたアメリカ兵が除隊後もウボン人の奥さんをもらってウボンに住み着いているのではないかと私は推測している。
ウボンでは日本人の妻タイ者を見たことがないが、ファランの妻タイ者は結構見かける。プーケットなどではなくウボンを選ぶとはなかなか眼の付け所がいい。一度彼らとウボン談義をしてみたいところだ。
生演奏
しかしこの種のファランバーは、私はあまり好きではない。タイ人は日本人以上に欧米かぶれで毛唐ファランとその文化を崇拝する傾向が見受けられる。
そうしたバーで飲んでいると私は「お前らタイ人ならルークトゥンを歌え!モーラムを踊れ!」などと一人ガンコ親父のように逆ギレして怒鳴りつけたくなってくる。
でもこうしたことは日本人にも言えるのではないでしょうか。「英語がペラペラ喋れてアメリカの事情に通じていることが国際人の条件だ」などと考える奴は、必ずしも駅前留学NOVAの英語教室に通っている連中だけではあるまい。
アジア人が欧米人の猿マネをすることほど滑稽なことはない。金髪の白人がちょんまげを結うようなものだ。ウボンに魅せられた日本人としては、タイ人にはタイ人らしくあってもらいたいと思う。

まだウボンのタイ人はバンコクなどに比べてタイ人らしさを失ってはいない。この店の従業員もカオサン通りのファランバーで働くタイ人ほどスレていないのがせめてもの救いだ。
カウンターで1本120Bほどのシンハービールを飲んでいると、マネージャーらしき中年女性が仰々しく合掌して挨拶をしてきた。この店には女性のウェイトレスはいるが、私の研究しているチアビアがいないのが何とも残念だ。眼の保養にもならない。
よっぽどアメリカンポップスを聞きながら洋酒やカクテルを飲むのが好きな人でなければ、この店はあまり面白くないかもしれない。
私などはもっと場末系のバーやクラブなどで飲むことによってウボンにいる実感やウボン人との一体感を味わいたいと思っています。
追伸:最近アクセスが妙に増えたので追跡調査をすると、ミクシィから来られる方が多いことが判りました。さすがにウボンに限定したコミュニティーはありませんでしが、それでもイサーン好きの方が集まるコミュニティーで活発な意見交換が行われているのを知りました。
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